有田は細胞による計算機構の実現を目指し、未来開拓事業生命情報分野の芳賀 プロジェクトと共同で、シグナル伝達経路のモデリングと, そのためのツール に関する研究を行った。具体的には、芳賀プロジェクトで解析されているGタ ンパク共役受容体から核内の初期発現遺伝子zif268に至るシグナル伝達経路の モデリングを行なっている。現在、モデル手法全体を解析できるツールは実現 されていないが、数々の重要な知見が得られている。
シグナル伝達経路のデータベースは従来、知識ベースを基礎にしたプロダクショ ンシステムや、伝達経路を記述したグラフの経路探索ができるシステムとして ユーザーに提示されてきた。しかし、近年の爆発的な実験結果の情報増大によ り、多くの研究者が一致して了解するシグナル伝達経路のモデルは数が僅かに 限られ、また膨大な量の矛盾するデータが存在する状態になっている。このた め、上記の手法では、実験系研究者が望むような伝達経路を検索したり、新し い実験結果と過去の実験結果との矛盾点を見出すことが非常に困難になってき ている。
有田はシグナル伝達経路の挙動がエキスパートの実験系研究者でさえも把握し にくい点に注目し、(1) 入力した部分伝達経路と、入力した実験結果が矛盾す るかどうかを機械的に検証、(2) 実験結果と矛盾する場合、矛盾を解消できる 伝達経路の変更案の提示、が可能なツールが必要であると考え、その開発に着 手した。
ツールの入力情報は、モデルするシグナルの部分伝達経路と、定性的な実験結 果の情報である。部分伝達経路は各ノードに論理関数がわり振られた有向グラ フとして表現され、Java言語による描画ツールによって入力される(図4)。 定性的な実験情報は、記述した伝達経路の頂点や辺に貼り つける、ラベルとして入力される。
現在この描画ツールでは、グラフにサイクルが無い場合に限り、ブール値によ る簡単な推論を行うことができる。しかし芳賀プロジェクトとの共同研究によ り、入力された経路と実験結果との矛盾を見つけるためには、サイクルと時間 遅れも考慮した、より複雑な推論が必要なことが明らかになった。このため、 シグナル伝達の挙動をグラフ構造とシグナルの伝達時間に基づいて定性的に推 論するシステムが必要になる。現在、ブーリアンネットワークの理論を拡張す る形で、この推論機構を開発中である。
ツール開発の際に芳賀プロジェクトから要請された重要な点は、(1)大規模な データにも対応できること、(2)入力されたデータに自由にリファレンスを張 り付けられること、(3)各研究室が独立して伝達経路や実験結果を入力でき、 それらの比較が可能であること、の三点である。上記(1)に対応するため、作 成している推論機構は微分方程式等を用いず、効率の良いアルゴリズムを使用 して推論を定性的に行なっている。また(2)に対応するため、現在も広く使わ れるインターネット上のデータベースへのリンク機能を利用している。また (3)に対応するため、各研究室で入力されたグラフ構造を、その定性的な挙動 も含め、システマティックに、かつ効率良く比較するためのアルゴリズムを開 発中である。このモデルの比較部分は、今後の課題として残されている。
有田は現在も定期的に芳賀プロジェクトと情報を交換し、作成したツールを実 際に実験系研究者に利用してもらうことにより、より使いやすいツールの開発 を目指している。
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