進化リアクターの概念に基づく分子コンピュータ

研究背景

計算可能性という概念は、チューリング・マシンによって明確にされた。チューリング・マシンは実用にならないが、そのおかげで、ノイマン型コンピュータが生まれ、電動計算機の延長線上では想像もできない、ＩＴ諸システムが発展している（表1）。一方、生体高分子の進化可能性（Evolvability）という概念がある。これは、生体高分子が進化できるための条件を意味し、それを明確にするために考案された仮想マシンとして、M.Eigenによる進化機械がある。その現実化マシンとして進化リアクターがあり、分子コンピュータの一つであるDNAコンピュータはその特殊なものとみなすことができる。進化リアクターによる進化分子工学は、既存の育種技術を、「進化可能性」という概念を明確にした上で分子レベルで合理化したものと見なせるが、育種からは想像もつかないDNAコンピュータとも結びついたことは、表1の上記二例と同様である。

表1: 従来技術の概念を明確にする仮想マシンとその現実化マシン
概念	概念を明確にするための仮想マシン	現実化マシン	従来技術
エネルギー変換可能性	カルノー・エンジン	内燃機関, 冷凍機	ワット経験的エンジン
計算可能性	チューリング・マシン	コンピュータ, ＩＴシステム	電動計算機
生体高分子の進化可能性	アイゲン進化機械	進化リアクター, DNAコンピュータ	育種

共重合高分子を高速進化させる実験をするための十分条件に次の５条件がある。これは進化リアクターの設計・運転原理として、実験的にも理論的にも確認されている[伏見97日本物理学会誌, 伏見99化学と生物]。（１）平衡から遠く離れた開放系、（２）自己複製系、（３）遺伝子型・表現型対応付け、（４）突然変異系、（５）配列空間上の適応度地形が適切な系。（１）-（３）によりダーウィン淘汰が起こり、それに（４）、（５）が加わると、ダーウィンの漸進的高速進化が起こる。

DNAコンピュータの多くのものは、ある問題の正解を塩基配列に符号化したDNA分子の適応度が高くなるように環境設計された進化リアクターである。進化リアクターの種類は、適応度が比増殖速度と同じか同じでないかで、分けることができ、適応度が比増殖速度と同じものを自然淘汰型進化リアクター、同じでないものを人為淘汰型進化リアクターと呼ぶ。自然淘汰型DNAコンピュータの場合、データを符号化したDNAの物理化学的特性を比増殖速度に変換することで計算の正解を得ることになる。すなわち、次のスキームで表現できる。

｛データ1,...｝　→　｛塩基配列1,...｝　→　｛物性1,...｝　→　｛比増殖速度1,...｝（正解）←----------------------------------------（最大値）

逆に、進化リアクターは広い意味の分子コンピュータといえる。進化リアクターを研究してきた伏見たちのグループは、この様な状況を背景として，本プロジェクトに参画する機会を得た。

研究目標

L.M.Adlemanによるハミルトンパス問題の解法などに用いられたDNAコンピュータは、淘汰工学的な決定論的プロセスによるものである。決定論プロセスでは、計算量が大きくなる問題で、解の候補のすべてを用意できず、破綻をきたす。そこで、進化リアクターの概念に基づく、進化工学的なDNAコンピュータを作れば、計算量が大きくなる問題であっても、非決定論的プロセスではあるが、近似解を得ることができると考えられる。 "進化する"ということは、例えば "ある合成反応の触媒となるRNAの塩基配列を求めよ。" あるいは、"タンパクの特定の立体構造を与えるようなアミノ酸配列を求めよ。"という問題に対して、次第に正解に近づく近似解を与え続けていると理解できる。生物進化は、Evolution as Computationという側面が強いわけである。しかもこの分子系の進化計算で大事なことは、それが分子の性質に基づき、自動的に行われ、しかも自動的に行う方法（アルゴリズム、プログラム）自体の進化が、再び自動的に行われてきたことである。これは分子系の進化能の進化(evolution of evolvability)と言いうる。こうして、表1に挙げた"計算可能性"は、進化型分子コンピュータを思考道具として、概念拡張されて"進化可能性"概念を統合する部分をもつようになり、"情報創出可能性"と名づけることのできる概念を生むであろう。表1の下に並べるべき行を、表2に示す。本研究の第１の目標は、このような進化型分子コンピュータのモデルを作ることである。具体的には、3SR法自然淘汰型進化リアクターという分子系のもつ進化能を明らかにする。また、進化してきた実績をもつ生体高分子系の進化能とその進化の内容を明らかにする。

表2: 従来技術の概念を明確にする仮想マシンとその現実化マシン
概念	概念を明確にするための仮想マシン	現実化マシン	従来技術
情報創出可能性（計算可能性と進化可能性の拡張統合概念）	進化型分子コンピュータ	バイオコンピュータ	ノイマン型コンピュータ、生物進化という天然技術

進化分子工学を利用して、分子コンピュータの部品となる生体高分子を適応設計することが、本研究の第２の目標である。具体的には、相補的塩基対によるハイブリダイゼーション能以外の物理化学的性質が最小となるような、純情報ＤＮＡ分子のセットを取得することを目標とした。

成果概要

非平衡開放系におかれた自己複製系の新しい例：3SRを用いた進化リアクターの動力学

上述の進化リアクターの５条件に沿って、それぞれの条件に係わる研究成果を報告する。本節では、条件（１）+（２）について報告する。

核酸の自己複製系としてはPCRが有名であるが、温度サイクルの周期が倍加時間を基本的に決定するので自然淘汰型進化リアクターには向かない。これに対し、Self-sustained Sequence Replication(３ＳＲ)反応は等温ワンポット反応でＤＮＡ（並びにＲＮＡ）を増幅できるので、倍加時間は個々のＤＮＡ（およびＲＮＡ）の性質によって決まる。従って、評価関数を個々の塩基配列の複製反応速度に取ることができる。これを用いてDNA/RNAがダーウィン進化を行う自然淘汰型進化リアクターが構築できる。我々は、Gebinogaらが２酵素系に改良したものに、さらにRNAポリメラーゼとしてSP6 RNAポリメラーゼを用いる改良を加え、原型の３ＳＲ反応の活性寿命が１時間程度であるのに対して、５時間以上の活性を維持できるようにした[Yamamoto01DIMACS]。

非平衡開放系の条件は、フローリアクターで実現するのが簡単で原理的である。すなわち、自己複製系をフローリアクターに投入すれば、必然的にダーウィン淘汰が起こるのである。我々の反応系では、HIV-1 RTによる逆転写/RNaseH反応ステップが律速段階になっている。したがって、RNA転写物の塩基長から逆転写プライマーの塩基長分を除いた長さを実効長Lとすると、HIV-1 RTによるこの長さLの伸長反応が、比増殖速度に主要に寄与すると考えられる。実験の現実的要請から、我々はフローリアクターを、継代植継ぎ実験でエミュレートした。

この進化リアクターを用いて、dsDNAの塩基長が84 mer、110 mer、154 mer、179 merの４種のDNAの植え継ぎ競争実験を行った。最も短い84 merが勝ち残った。84 merによる個体群置換時間を求め比増殖速度の実効長L依存性のグラフを描くと、簡単化モデルの淘汰係数理論に当てはめることができた[Yamamoto01DIMACS]。

実験結果から比増殖速度の実効長依存性を求めることができたので、配列にランダム領域を導入したDNAテンプレートの競争実験を行うことによって、同じ塩基長をもつ配列のうち、3SRによる増幅の速い塩基配列をもったテンプレートを得ることができる。 DNAコンピュータには、物理的化学的に安定な構造を取らないような純情報分子が必要であろう。そのような純情報分子は比増殖速度が大きいであろう。ランダム配列を含んだDNAテンプレートを用いた植え継ぎ競争で勝ち残った配列の塩基配列解析を行い、ランダムな配列と勝ち残り配列の2次構造の安定性を比較したところ、ランダム領域を含むターゲットDNA、RNA、逆転写された一本鎖DNAのいずれについても、勝ち残り配列が有意に不安定であった。

3SR法進化リアクターにおける増幅機構の進化：アルゴリズムの自動獲得

前節で述べた純情報分子を取得するための進化リアクターを１５０時間運転したあと、リアクター中には、初期に投入したランダムプールのDNAテンプレートとそれに対応する一本鎖DNAは、ほとんど消失していた。その代わりに２本の未知のDNA分子が勝ち残って増幅してきた。これらを我々はXとYと名づけ、このうちX-DNAに関しては、プライマーとして、逆転写プライマーのみで増幅することが判った。そこで、このX-DNAのシーケンシングを行った結果、この現象の発見後にMcCaskillらによって公表された別の増幅法、Cooperative amplification of templates by cross-hybridization (CATCH)法によって、その増幅機構は矛盾なく説明できた[Yamamoto01DIMACS]。しかし、クローニングが非常に困難であったことなどから、このX-DNAすべてが、CATCH法の増幅機構では増幅をしていない可能性があった。X-DNAの主成分を追跡したところ、勝ち残ったDNA集団の主成分はむしろ、Joyceらが考案していたRNA-Z様ヘアピン増幅機構で増幅する配列を持っていた。このように自然淘汰法進化リアクター中では、3SRからRNA-Z様ヘアピンやCATCHへの増幅法自体の自動的進化が観測されるという興味深い現象が起こった。増幅機構が進化するメカニズムの解明を進めた結果、上記Y-DNAは、X-DNAへの進化の中間体として位置づけることができた。

これらの進化実験の結果より、図1に示すように、まず、ランダム領域を含む3SR増幅機構からプロモータープライマーのみで増幅するヘアピンY-DNAが出現し、その後逆転写プライマーのみで増幅するヘアピンX-DNAが出現するという、増幅機構の自律的進化を観測できたことになった。

図1: Evolution Pathway of Amplification Algorithms

DNAコンピュータのプログラムは、実験操作の系列として表現されたものと、DNA分子の塩基配列に表現されたものの組合せからなる。DNAコンピュータにおける単位操作（コマンド）の"増幅"も、実験操作の系列と増幅に必要なDNAの塩基配列を指定することによって実現するので、一つのプログラムモジュールとみなすことができる。あるいは、サブルーチンプログラムとみなすことができる。この"増幅"を実現するプログラムは多数あり得るわけであるが、それが高速アルゴリズムに基づくかどうかは、実際に走らせてみればわかる。分子コンピュータの場合は、自然淘汰型進化リアクターで競争させた時、生き残るプログラムが、初期に用意されたものの中では、最速ということになる（ダーウィン淘汰）。ところが、本節で報告された現象は、初期に用意しなかったプログラムが、用意したプログラム（DNAの塩基配列として表現されている部分）の突然変異によって、新たに作られたという意味で、概念上特別に興味深い。分子系が、伏見たちに、もっと別のアルゴリズムがあることを教えてくれた。実際CATCH法をMcCaskillらが頭脳労働で考えつく前に、伏見たちの分子系は、３ＳＲから突然変異で生じ進化したRNA-Z様増幅機構から、さらに突然変異を起こして実現してみせたのである（ダーウィン進化）。これは素朴ではあるが、研究目標の節で述べたアルゴリズムの自動獲得機構を有する進化型分子コンピュータの一例ということができる。

しかし、diversityの大きいランダムテンプレート集団を用いるとRNA-Z様ヘアピン増幅機構など別の増幅機構へ進化する可能性があるということは、3SR進化リアクターを応用する場合はその進化的不安定性が短所となる。そこで、安定した3SR進化リアクターとするために、3'末端を伸長しないように修飾したプロモータ配列のアンチセンスDNA（17mer）をヘアピン増幅の阻害剤として用いることを考案した。このアンチセンスDNAは、3SR増幅にはほとんで影響がなく、プライマーの10倍量を投入すると、ヘアピンテンプレートの増幅を特異的に阻害することが確認できた[Yamamoto01CL]。

遺伝子型表現型対応付け技術

ＲＮＡや一本鎖ＤＮＡをダーウィン淘汰しようとする場合には、表現型を担う分子と遺伝子型を担う分子が同一の分子なので、表現型の評価をしたあと、それを遺伝子型にフィードバックするのに何もする必要はなかった。しかし、蛋白質の淘汰の場合には、表現型を担う分子（蛋白質）の評価の結果を遺伝子型を担う分子（ＲＮＡまたはＤＮＡ）にフィードバックするには、何らかの対応付けの仕掛けが必要である。その戦略には、ウイルス型、細胞型、外部知性型と呼びうる３つの方法が知られている。

そのうち、ウイルス型とは、両者を単に結合する戦略であり、例えば、遺伝子１個からなるゲノムと、それが発現した蛋白質をコート蛋白とする、原理的に、最も単純なウイルスの形態をとる。伏見たちは、ウイルス型の遺伝子型表現型対応付けのためのシンプルな分子系である試験管ウイルス（in vitro virus）を開発した[伏見97日本物理学会誌, Nemoto97FEBS]。このin vitro virusはｍＲＮＡの末端にピューロマイシンを化学結合したものを新生コート蛋白とのリンカーとしており、in vitro RNA virusと呼びうる。これには２つの欠点があった。ＲＮＡは一般に化学的に不安定であり、また蛋白質部分の評価過程でmRNA部分の評価が入ってきてしまうというものである。そのため、遺伝子型部分をｍＲＮＡからｃＤＮＡに変えてしまうin vitro DNA virusの開発をすすめた。その結果、そのライフサイクルが回る段階に達した。

突然変異導入技術

進化分子工学では、配列空間を移動するプロセスを全て突然変異導入プロセスという。それには狭い意味の突然変異以外に、組換えプロセスも入る。組換えは、相同組換えと非相同組換えとに大きく分類できる。これを進化分子工学の実験技術として実現したものに、前者としては、ＤＮＡシャフリング（Sexual PCR）法やMutational scrambling法があり、後者には、エクソンシャフリングを模擬する諸技術がある。前者は、点突然変異を有効に蓄積する技術である。後者は、情報ブロックをブロック単位で混合する技術であり、情報がモジュール階層構造をとっているときのモジュールの組み合わせによる進化に有効である。

伏見たちは、非相同組換えの実験技術として、Ｙブロックシャフリング法を開発した。また、相同組換えの実験技術として、Mutational scrambling法の改良法を開発した[Aita00JTB]。ここでは、後者について少し詳しく報告しておく。

Mutation scrambling法は、野生型DNA断片と各々の有利点変異を含んだ変異型DNA断片を適当な混合比で混合し、オーバーラップ伸長により様々なアミノ酸置換の組み合わせを持つ多重変異体の２次ライブラリーを作成する技術である。一方、次節で述べるようにこれまでの実験データから、タンパク質はアミノ酸置換に対し、概ね独立的に影響を受けることが示唆されている。我々は、「アミノ酸置換効果はおおむね独立的に寄与する」との仮説に基づいて、変異型DNA断片の存在比を相対的に大きくすることで、高い適応度を有する多重変異体を効率よく作成できる可能性を理論的に示した。

２次ライブラリー作成時の野生型断片と変異型断片の混合において、変異型断片のモル分率を r とする。すなわち、Mutation scrambling後に創製される多重変異体集団において、各部位における変異型残基と野生型残基の存在確率はそれぞれ、r と 1-r である。加算的な効果と非加算的な効果の比を θ で表現する。結論として、r が大きくなるにつれて多重変異体集団の適応度分布は、適応度の高い方向にシフトし、アミノ酸置換の"最適な組み合わせ"をとる最適変異体の出現確率は大きくなる。しかし、r が１に極めて近づくと逆にその確率が減少する。この減少は、アミノ酸残基の非加算効果の表れである。よって、最適変異体を高確率で作成するための r の最適値 r₀ が存在するはずである。この r₀ は、θ やスクリーニングサイズ N などに依存して決まってくる。θ などのパラメータにこれまでの解析で得た現実的な値を代入して、最適値 r₀ を決定した結果その値は0.7-0.9であった。すなわち、変異型DNA断片と野生型DNA断片の最適な混合比は7:3から9:1の範囲内であると予想される。さらに、この「DNA断片の混合比にバイアスをかけたMutation scrambling法」は、実験的に変異体のスクリーニング数が小さなサイズに限定される場合に特に有効である。実際、この方法により、蛋白質分解酵素の耐熱性（57.5℃における酵素活性の寿命）を１６００倍に改良することができた。

生体高分子の局所適応度地形の探査

生体高分子の進化能は分子コーディング能に基礎を置く。直鎖状共重合高分子の機能物性がその単量体配列で決定されるのなら、その機能物性は単量体配列という文字列にコーディングされているといえる。この分子コーディング機構の発明は、分子進化を飛躍的に高速化・多様化する基礎となると考えられる。生体高分子の１分子の進化を考えるとき、分子コーディングは、生体高分子の配列空間上の適応度地形として表現できる。ここで、「適応度」とは、進化分子工学では、その１次構造（塩基配列やアミノ酸配列）にエンコードすべき生体高分子の性質のことである。例えば、立体構造安定化自由エネルギーや、リガンド分子結合の自由エネルギー、酵素の触媒能などである。

タンパク質やペプチドの多くの実験データは、点突然変異の効果が統計的に相加的であることを示しており、その結果、短いペプチドに対してはアミノ酸配列空間全域で、タンパク質に対しては、局所的配列空間で、それらの適応度地形が、「富士山型」地形に近いとして矛盾しないことを示している。この地形を現実の地形の第１近似と考え、理想地形と呼ぶこともできる[Aita98JTB, Aita98JTB']。ちょうど理想気体のアナロジーである。

適応度地形面の凸凹を与える適応度の非線形項は、平均0、標準偏差 ρ の正規分布に従うとする。ρ-値は、適応度地形表面の凸凹度を表す。ここで、表面の相対的滑らかさを評価するパラメータとして、平均勾配と凸凹度との比 θ を導入する。

このモデルで、さまざまな蛋白質の熱安定性の地形、酵素活性の地形や、ペプチドのリガンド結合の地形を解析した[Aita00Biopolymers]。θ の範囲は、２～７であった。蛋白質の局所的適応度地形（の尾根筋）は、富士山型に近いと言ってよい。生体高分子はこの意味で進化能を持っている。

我々の研究グループでは、ＧＦＰをレポータとし、蛍光セルソータを細胞型対応付けによる評価マシンとして利用した大腸菌プロモータ強度の地形の研究、[Ito99BBRC, Ito00Gene]Niキレート結合性一本鎖ＤＮＡの親和性の地形の研究[Eli98CL, Eli99JB]も進行中である。

遺伝コードの適切性：進化能の進化の例

遺伝コード表は、４値３次元配列空間（塩基配列空間の一つで、ここではコドン空間と呼ぶ）上の適応度地形の集合として物理化学的に表現できる。この場合、適応度とは、各配列（コドン）がコードしているアミノ酸の持つ物理化学的性質のどれかを指す。ここでは、アミノ酸残基の疎水親水度(Kyte), 分子容, 比熱, α-らせん傾向指数、 β-シート傾向指数を採りあげた。伏見たちはこの地形を、前節で述べた凸凹のある富士山型地形モデルを用いて解析した[Husimi99EC, Aita00JME, 伏見00数理科学]。

標準遺伝コード表SGCの θ が、無作為に決められたコード表のそれからどの程度離れているかを知るために、コードの対応関係をランダムシャフリングしたコード表VCの θ を計算した。モンテカルロ法で1000種類のVCを発生させ、各VCの θ-値を決定した。

標準遺伝コード表(SGC)のZ-スコアを

Z_{\theta 3} \equiv \frac{\theta_{\rm SGC}-E[\theta_{\rm VC}]}{SD[\theta_{\rm VC}]},

で定義する。ここで、θ_SGC はSGCのθ-値、E[θ_VC] と SD[θ_VC] は、VCのθ-値の分布の平均値と標準偏差である。このZ-スコアは上限を与えるであろう。なぜなら、コドンの縮退はクラスター化しているからである。そこで、このクラスター枠を保存したままシャフルする別のスコア Z_θ1 を計算した。 Z_θ1 は下限を与えるであろう。

SGCを分析してみると、残差の自己相関はゼロに近いので、我々のモデルは適用可能なことがわかる。全ての地形は富士山型に近い。特に、疎水親水度の地形は極めて近い。Z_θ3 = 13.3, Z_θ1 = 6.0. このことは、良く知られたSGCの突然変異に対するロバスト性を定量的に表現したことになる。しかも、このロバスト性はアミノ酸の多くの性質に対して同時に成立していることがわかった。

以上はアミノ酸レベルのロバスト性である。それでは、それが埋め込まれているタンパク質の機能物性は同じ程度にあまり変化しないであろうか。すなわち、タンパク質機能の点から見ても突然変異はロバストであろうか。これは自明ではないので、MHCクラスⅠというタンパク質に結合するペプチドに対して徹底的に調べられた各アミノ酸部位の実験データを用いて、その相関係数を解析してみた。11の物性量に対して解析した結果、タンパク質機能物性も突然変異に対して統計的にロバストであるといえることがわかった。

もしも、ランダム突然変異がアミノ酸配列空間で起こるのなら、部位適応度のダイナミックレンジが広いことは、タンパク質物性が大きく変化しうることを意味し、それは、進化したタンパク質にとっては極めて有害な場合が多い。しかし、ランダム突然変異が塩基配列空間で起こり、その上、突然変異率が小さければ、部位適応度のダイナミックレンジは見かけ上かなり狭くなり、タンパク質機能はロバストである。それは、アミノ酸遺伝コードという第２のコーディングが相関が強い変換であるおかげである。実際、コドン空間上のアミノ酸の地形の θ を変えて、塩基配列空間上のタンパク質の適応度の山の登山をさせるシミュレーションを行ったところ、θ が大きな程、進化は進みかつ安定であった。

3SRを用いたDNAコンピュータによりDNF式の学習問題を解く試み

へアピン増幅機構の阻害剤の開発で、3SR法の進化的不安定性の解決が見られたため、3SR法を用いて、2項DNF式の学習問題を解くことを試みた。リテラル（変数またはその否定）の論理積からなる項の論理和で表されるブール式の標準形をDNF（選言標準形）、またブール式の入力（変数への0と1の割り当て）と出力（その割り当てに対するブール式の値）の組み合わせをサンプルと呼ぶ[Sakakibara00DNA]。今研究では、与えられたサンプルから矛盾のない3変数2項DNF式を学習するという問題を対象とした。各項のDNF式を各リテラル配列とstopper配列（ポリメラーゼ反応の伸長を停止するための配列）とmarker配列（ブール式の出力が1ならば一本鎖、0ならば二本鎖状態となる部分の配列）として塩基配列に符号化した。例えば、 (x1∧x2)∨(￢x3)を符号化するDNA配列は、次のようになる。

5' - stopper - marker - x1 - x2 - empty -　stopper - marker - empty - empty - ￢x3 - 3'

ここで、各リテラル配列とマーカー配列をA、C、Tの塩基で構成し、ストッパー配列をGの塩基で構成した。これは、Gに相補的な塩基対のCを含まない反応系での伸長反応の際に、ストッパー配列（G）で停止させるためである。

3変数2項DNF式すべて729種類をコンビナトリアルに作成した。配列解析を行った2項DNF式のうち、点突然変異や欠損を含む配列はいくつか存在したが、リテラルの位置が間違えているものは全く存在しなかった。また、リテラルの中での分布の偏りは、ほぼ統計的誤差の範囲の中に入っていた。

片側のプライマー量を多くした非対称3SR法でDNF式の増幅と分離を同時に行い、ポリメラーゼの伸長停止反応後、ビオチン化したmarker配列の相補鎖をアニーリングさせ、サンプルに矛盾のない解をストレプトアビジン固定化磁気ビーズによって取り出しサンプルの評価を行った。すべての2項DNF式に対するサンプルの評価を行った結果、この学習問題の実行可能性が示唆された。しかし、学習問題の実行時にかなり誤答が含まれていた。この誤答を与える実験操作の原因は明らかであるので、その対策は可能と考えられる。

まとめと将来展望

３ＳＲ進化リアクターは、その増幅機構を進化させるという現象を示し、その進化の分子機構を明らかにした。また、その進化的不安定性を安定化する方法を開発した。安定化された３ＳＲ進化リアクターを部分的に利用して、ＤＮＦの学習問題を解くＤＮＡコンピュータの可能性を示した。

３ＳＲ進化リアクターで純情報分子を取得する計画は、増幅機構の進化の問題に関わった関係上、未完成に終わった。

試験管中で、ライフサイクルを回すことのできる人工ウイルスin vitro DNA virusがほぼ完成したので、これと３ＳＲ等温核酸増幅法を組み合わせれば、等温（核酸＋蛋白）増幅系が構築できるだろう。これを用いた自然淘汰式進化リアクターを構築できれば、そのリアクター中に設定された環境に適応するようにその遺伝情報が進化するが、その遺伝情報としては、増殖法のプログラムも含まれているわけであり、その進化は、３ＳＲが核酸だけからなる系であったのに対し、蛋白質という第２の機能分子が関与するので、進化型分子コンピュータとして新たな情報創出能を持つものとなろう。

また、in vitro DNA virusの蛋白部分の配列はランダムでも「生きている」から、この進化リアクターを用いて、蛋白質の大域的適応度地形を探査できるだろう。

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